友人に心配ごとがあるんだ・・・
と相談されて話を聞きます。
友人:「○○してみようと思うんだけど、いろいろ考えると心配なってさ,
なんか不安なんだよね」
僕(仮):「ああ、わからないことが多いとねー」
「オレもそこは不安要素だと思う」
「無茶しないほうが無難だと思うよ」
なっ!? なにそれ! なんちゅう役立たずな話なんでしょう。
これじゃあ、友人の相談はただのグチです。
「心配」という言葉は、心を配る と書きます。
「思いやり」や「気遣い」などと同じ、良い言葉だと思っていたのですが、実
際は二面性のある言葉のようです。
あんなことにならないか・・・
こんなことが起きるんじゃないか・・・
心配のタネはネガティブなイメージを吸収し、どんどん大きくなって、不安
へと成長してしまいます。
何か新しいことをはじめるとき、感情や主観で予測してしまいがちですが
心を「自ら創り出した不確定要素」ばかりに配りすぎてしまうことがクセに
なってませんか?
心は擦り減って疲れ、空いた隙間に不安が育ち、はじめよう!と思った
ときの瞬発力やモチベーションが弱ってしまいます。
最悪の場合、心だけでなく、カラダを壊す原因なるそうです。
心配は不安のタネになるだけで、何の役にも立ちません!
心配したって始まらない! とは良く聞くセリフです。
とは言ったものの。
心配ごとや不安と言うものは日々自分のどこかにあるものです。
コレを拭い去り、無縁のものにするためには「行動」しかないんです。
不安を消すための「何か」をするしかないんです。
考えることは大切なこと。 でも考えてるだけでは目の前の環境は何ひとつ
変わりません。
▽この記事を書いたとき、こんなコメントをいただきました。
---ここから---
私の好きな言葉に
『できるかできないかではなく やるかやらないかだ』って言うのがあります。
できないと思うから辞めとくとかホントもったいないですよね!!
逃げてちゃ始まりませんよね。
---ここまで---
大賛成です!
僕の場合、どうしようか迷ったときは、「〜すればいいんだ」と考えるように
しています。
「〜しなきゃいけない・・・」 と考えると疲れます。
「〜すればいいんだ!」 と考えると気持ちも軽く元気になります。
単純でしょうか。。。
最後に。
はじめの役立たずな話のお役立ちバージョンは?というと。。。
友人:「○○してみようと思うんだけど、いろいろ考えると心配なってさ、
なんか不安なんだよね」
僕:「ああ、考えれば考えるだけ不安になるよ」
「そういう心配って迷いになるし、動けなくなる」
「やってみよう!と思ったときと比べると、弱ってんなぁ〜って
思わない?」
「気がすむまでやるしかないよ」
「わからないことが不安なんだから、1つずつ潰せばいい」
「ちなみに、いま気になってんのって何?」
友人:「うん、たとえば○○したとしてそのあと・・・・」
と会話は続いていく。
本当に友人のことを思うなら、力になりたい!と思うはず。
不安感情に同調してあげたところで、何の解決にもならないし、力も生まれない。
友人の成功を思うとき。
いい方向に向かって欲しい!とたとえウソでも元気づける心配りこそが
本当の「心配」だと思う今日この頃です。
行動が伴った「心配」はいい言葉になりますね。